9月の約半分ぐらいになってしまったのである。一日で時価総額140億ドルが消し飛び、週間では300億ドルが失われた計算になったが、これは当時の米国連邦年間予算の10倍に相当し、アメリカが第一次世界大戦に費やした総戦費をも遥かに上回った。投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めていった。この日は[[火曜日]]だったため、後にこの日は「'''悲劇の火曜日'''」と呼ばれるようになった。そしてアメリカ経済への依存を深めていた脆弱な各国経済も連鎖的に破綻することになる。
過剰生産によりアメリカ工業セクターの[[設備投資]]縮小が始まったのが大きな要因であり世界恐慌がさらに投資縮小を誘引したため、強烈な景気後退に見舞われることになった。
[[産業革命]]以後、工業国では10年に1度のペースで恐慌が発生していた。しかし[[1930年代]]における恐慌(世界恐慌)は規模と影響範囲が絶大で、自律的な回復の目処が立たないほど困難であった。