==要因==アメリカの[[貿易収支]]の赤字幅が予想以上に膨らんでいたことや、1985年の[[プラザ合意]]以後のドル安打開のためにドルの[[金利]]が引き上げられる観測が広がっていたことが要因として挙げられる。また、当時普及し始めていたコンピューターによる[[プログラム売買プログラム取引]]が、ある程度株価が下落すると損失を最小限にしようと、自動的に売り注文を出す為、売りが売りを呼ぶ負の連鎖が起きたためともいわれている。
この二ヶ月前、[[FRB]]議長職が[[ポール・ボルカー]]から[[アラン・グリーンスパン]]へ引き継がれていたことも市場の不安心理をあおっていたと見られる。
==時代背景==1970年代の世界的な[[インフレーション]]と1980年代初めの高金利時代において株式は割安に放置され続けていた。1980年代、インフレ抑制に成功した世界では[[ディスインフレーション]]と[[金融緩和]]が進行していた。1970年代のインフレーションによって名目の利益水準は相当膨らんでいたため、世界中の割安な株式市場に[[流動性 (経済学)流動性]]が流入し活況を呈した。しかし、ゆき過ぎた活況は金融引き締め観測により終わりを告げた。
この中、金融緩和を続けた日本では、[[日経平均株価]]は半年後の[[1988年]][[4月]]には下落分を回復。すでに1986年頃に始まっていた[[バブル経済]]は更なる膨張を続け、[[1989年]][[12月29日]]には史上最高値(38,915.89円)をつけることになる。