2008年4月2日水曜日

株式74

こうした中、[[修正資本主義]]に基いた[[ニューディール政策]]を掲げて当選した[[民主党 (アメリカ)民主党]]の[[フランクリン・ルーズベルトフランクリン・ルーズヴェルト]]大統領は公約通り[[テネシー川流域開発公社]]を設立、更に[[農業調整法]]や[[全国産業復興法]]を制定し、更に[[ラテンアメリカ]]との外交方針を以前の棍棒外交から善隣外交へ転換した。ただ、ニューディール政策は1930年代後半の景気回復を前に規模が縮小されるなどしたため、1930年代後半には再び危機的な状況となった。このため、同政策にどれほど効果があったかについては今日でも賛否両論がある。
アメリカ経済の本格的な回復はその後の第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気を待つこととなる。
=== イギリス ===[[労働党 (イギリス)労働党]]の[[ラムジー・マクドナルドマクドナルド]][[内閣]]は[[失業保険]]の削減など[[緊縮財政]]を敷くがその政策から労働党を除名され、代わりに[[保守党 (イギリス)保守党]]と[[自由党 (イギリス)自由党]]の援助を受けてマクドナルド挙国一致内閣を組閣する。それとほぼ同時期の1931年[[9月21日]]、ポンドと金の兌換を停止、いわゆる[[金本位制]]の放棄を行った。なおイギリスが金本位制の放棄を行ったのをきっかけに金本位制を放棄する国が続出、[[1937年]]6月にフランスが放棄したのを最後に国際的な信用秩序としての金本位制は停止した。勢力にかなりの蔭りが出ていたイギリスでは広大な植民地を維持していくことができず[[ウェストミンスター憲章]]により自治領と対等な関係を持ち、新たに[[イギリス連邦]]を形成、これを母体に[[ブロック経済]]([[スターリングブロック]])を推し進めていくことになる(ただし[[インド帝国]]はブロック経済下でも東アジアと密接な経済関係にあったことが知られる)。